●理事長コラム●今日の私は「カオス」です。

●理事長コラム●今日の私は「カオス」です。

永樂です。
昨日は昼から暗くなるまで5時間以上の講師ミーティングでした。

今後につながるかなり大きな決定もあったし、
すごく実のあるミーティング!
だけど…

長すぎやしないか!

13:30〜18:00すぎまでよっ!
だんだん落ち着かなくて、途中から
「コーヒーおかわりいる??」
とかうろうろしだす私を尻目に、
やる気溢れすぎるうちの講師陣。

いつも本当にありがとう。
本当に、お疲れ様です🙇‍♂️

そんなやる気いっぱいの日本糀協会・講師の皆さん。

だけど、今日、目にしたのは、お料理教室にきてくださっている生徒さんがシェアされていた、こんな記事。

「封建社会のほうが幸せだったのでは?」
今、受講している社会人大学の講義で教授が言った。
僕は、聞いていて「たしかにそうかもしれないな」と思った。
江戸時代は、身分は固定されていた。士農工商。受ける教育も違った。
戦争もないから、武勲をあげることもなく、下剋上もない。
武士は、経済や社会を学ぶ。
農家は、農業をする。
商人は、数字を学ぶ。
みんな自分の世界があり、それぞれが自分の生き方に疑うことなく生きていた。
羨ましいと感じていたこともあったかもしれない。でも、選択肢はなかった。たしかに選択肢がないことは不幸だ。身分差別により、苦しんだ人もいるだろう。
ただ、自由になったことで、みんなが幸せになったかというと、そうとも言い切れない。
今、僕たちはとても不幸な時代に生きているのではないかと、僕は思っている。

僕たちは、不幸な時代に生きているのかもしれない
BY 田中 洋輔 · 2019年11月27日
http://www.blog.dlive.jp/2019/11/27/unhappy/?fbclid=IwAR0P3EL_MC78GpfpontJdZgcpFYNTHljIzEU1tVkrHXzwL5X69ZqCh_8omI

幸せってなんだろう?
時代のせいで不幸になった人もいるだろう。
単なる不運のせいで不幸になった人もいるだろう。
でも、健康で、食べて、寝て、隣に人がいる環境なら、
その「不幸」の正体は一体なんなんだろう。

どんな時代にだって、
その時代に生まれてよかったともう人もあれば、
こんな時代に生まれなきゃと思う人もあったと思う。

時代時代に社会の「規範」があって、
きっとそこから外れ気味の人、完全に外れている人は生きにくいと思う。

だから、現代だって、
選べることを幸せだと思う人もいれば、
選択肢が多すぎて不幸、と思う人もいる。

このブログに出てくるみたいに、
封建社会の方が幸せ?
なんていう先生もいれば、
飢えや犯罪、突然命を脅かす剣や疫病。貧困から遊郭に売られる娘。
想像に難くない、ただ生き続けることが難しい時代を、
ちっとも幸せなんて思えない!という私みたいな人もいる。

だけど、いろいろ言ってみたところで、過去には決して戻れないし、今の時代の流れもすぐには変わらないのだから、
これからの未来をどうしていくか、という話になると思う。

「みんなが輝く時代」「子供達が生き生きとできる時代」
そんなのを目指してやっていくのがいいのかもしれない。

でもね、なるようにしかならないことだって生きてたらたくさんあるんだから、
あえて「個人」に焦点を当てて、ちっさくちっさくモノを言うとしたら、

別に、生き生きしてなくたってよくない?

私は、大人たちが、子どもたちに向けて
「夢を持とう!」みたいなこと言ったり、
「子どもがのびのび、生き生きできる世の中に!」
とか言うのがあまり好きじゃない。

「のびのびできてない自分はダメな子なのかな?」
「夢や目標がない自分はダメな子なのかな?」

なんて思う子もいるだろうと思うし、
私自身、「夢」と言えるようなものはあまり持った自覚がない。
(今やりたいと思っていることをやっているだけと言う感覚で生きています)

僕は、味方をつくることだと思っている。味方とは、「ありのままの自分を受け容れてくれる人」だ。その人がいるかいないかで人生は大きく変わってくる。
そして、誰よりもまず、自分自身が誰かにとっての“味方”でいること。

子どもの味方でいる。誰かの味方でいる。

僕たちは、不幸な時代に生きているのかもしれない
BY 田中 洋輔 · 2019年11月27日
http://www.blog.dlive.jp/2019/11/27/unhappy/?fbclid=IwAR0P3EL_MC78GpfpontJdZgcpFYNTHljIzEU1tVkrHXzwL5X69ZqCh_8omI

これを読んで頭に浮かんだのは「ナタク孫」。

『炎炎の消防隊』大久保篤 週刊少年マガジン(講談社)にて2015年43号から連載中

やれる!僕ならやれる!やります!もっとやれるから!
って周りの期待に応えようと頑張りすぎて、壊れかけてたナタクの心救ったのは、自分より弱いのと戦うのが大好きな黒野。
子どものような、弱者をボコボコにするのが大好きなサイコやろうだだけど、
黒野がアドラバーストを発動したナタクにかけた
「まだ子どもだろう。もっと弱いままでいてくれ」(単に弱いナタクをボコボコにしたい)と言う言葉がナタクの心を楽にする。

「弱くて、いいんですか?」

どんどん文章がカオスになってきてますが、

そうなの。なんて言うか、もう、なんでもいいから、ご飯美味しいなって。手も足も自由に動いて、走ったり飛んだりできてよかったなって。野良猫は、あんな寒いところで寝てるのに、あったかい部屋と布団で眠れて気持ちいいなって。

もっと、大人がなんかそう言う、ちっちゃい満足を幸せに感じる姿を見せてもいいんじゃないかなと。

目標もって前に進んでる、輝いてる人じゃなくても、いいんじゃない?
なんもやる気でなくて、ただ毎日生きてるだけの人間でもいいんじゃない?

とか思ったりするんです。

もちろん、頑張ってる人は好きだし、
目標を持って頑張っている人がいたら、応援したくなるし、
頑張ることは素敵なことだと思います。

だけど、「今」目標や夢が持てないことが、
そんなに悪いことかな?
夢や目標を持って頑張れてる子の方が、そうじゃない子より偉い??

大人だってそう。
毎日ちゃんと仕事して、ご飯作ったり、子どもの世話したり、
。。。とかたとえしてなくたって、
もう、いいやん、生きてるし。

もちろん子どもが生き生きできるのはとてもいいことです。
だけど、子どもを生き生きさせたいと思ってるのなら、
子どもに何かするよりも、
まず大人が生き生きしよう!
子どもに目標を持てって言うんなら、
まずは大人が目標を持って頑張るのが楽しいって姿を見せようよ。
たとえそれができなくったって、そんな自分を卑下して不幸ぶったり、他人を羨んで不満を持ったりするより、できなくても毎日幸せって思える小さなことを見つけよう。

お金がないとか、時間がないとか、目標が持てないとか、なんかモヤモヤするとか、色々思ってたって、今どうしても変えられないものは仕方がない。
だけど、そんな自分をどう思うかって言う心の持ち方は、勇気を持って一歩踏み出したら、変えられる。
だけど、最終
「変えられない自分でもいい」

喜ぶべきことを喜ばないようにさせるのは煩悩のせいであります。しかるに仏さまは、初めからそのような我らの心にある煩悩をすっかりお見通しの上で、煩悩具足の凡夫とおっしゃって、この凡夫救済の願を立てられたわけでありますから、この他力の悲願は我らのごとき凡夫のためであると言うことがわかりまして、いっそう仏さまの救いが頼もしく思われるのです。

『歎異抄』(講談社)全訳注:梅原猛
第9条 現代語訳より

いや、ほんまにカオス。何が言いたいの?って言うまとまりないコラムでしたが、最後は親鸞聖人の言葉で締めくくっておきます。

やっぱり、すごいよ親鸞。このパラドックスに満ちた世界を知れば、
もっと楽に生きれる人も多いんじゃないかなー。
いいよね、他力本願。
今の日本の迷える状態を見るに、これが「信仰を持たない弱さ」なんだろうか。なんて思ったりもするのでした。(最後の最後までカオス。。。)

だから、迷ってたっていいんだよ!
楽しくやりたいことやろう!

糀クッキングインストラクター1期生・募集枠あと2名!

夢や目標を持ってやってきてくれた講師陣に支えられて、
私自身は、はっきりとした夢や目標の意識を持たずとも、
今やりたいことに没頭させてもらえて、ここにいます。

仲間や味方を作ること。

それが今のあなたにもし必要と感じるのなら、
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